見ていても見えない事、見える事
- 高槻店
こんにちは。
いつも身体と向き合う時間を作りに来てくださって
ありがとうございます。
インストラクター美世です。
まだまだ、冷たい風が吹いていますが、体調お変わりないですか?
この間、家に帰る時に、三宮駅で全盲の方が歩いていました。
全盲の方の歩く方向が、パン屋さん の入口に向かっていたので、
パン買うのかな。。
トレイ取れるかな。。 と思って見ていました。
パン屋 の入り口の手前で方向を変えられたので、
違う所に行かれるのだと思いました。
パン屋 の壁に沿って、ステッキを頼りに歩かれていた所に隙間があり、
そこで止まられたので、
その時に初めて、迷われている事に気付きました。
近くに行き、「どこに行かれますか?」と聞くと
「阪神電車改札です 」とおっしゃられました。
その方は、人の流れの逆を歩いていたので、
他の方にぶつかってこけないように手を取り、
誘導しながら歩いて向かいました。
「駅員さんがいる所へお願いします。」とおっしゃられたので、
駅員さんの居る所まで案内して
そこで、別れました。
私は全盲の方を案内するのが初めてで、
少し気が張って居たように思います。
なので、後から、反省する事が出てきました。
「まずは自分の名をなのって、安心してもらえる様にしたら良かった。」
「頼ってもらえる様に、 手をしっかり合わせて握ったら良かった。」(半分、私がリードしてもらった様な時もありました)
次はこれを活かして、名前をちゃんと最初に名乗ろうと思いました。
見えないという事は、どんな事だろう
と、恥ずかしながら初めて考えました。
考えたら、
私が急いでいても、その方に気付けたか。
見えなくなると、今の町では外に出るのが、不安ではないだろうか。
そう思うと、まだまだ日本は整備されていないな。
そして、私も含めて自分の事だけで、周りを見ていないことが多いな。
と思いました。
そして、今行っているヨガも、
見えなくても動けるような言葉を出しているかな。。。。
とも思いました。
日常から、自分の状態を気付いた出来事でした。
同じ日常、風景でも、自分が見ようとした時に気付ける
そんな事を教えられました。